サツキPROJECT:西日本豪雨で被災したアパートを地域の防災拠点住宅に再生

サツキPROJECT:西日本豪雨で被災したアパートを地域の防災拠点住宅に再生サツキPROJECT:西日本豪雨で被災したアパートを地域の防災拠点住宅に再生

香川大学 IECMS 地域強靭化研究センター
磯打 千雅子

■1-はじめに

近年、水害は激甚化の一途をたどり、災害による被害様相は変化している。気候変動の影響により記録的な大雨が頻発。被害はより甚大かつ深刻化し、さらに全国同時多発で発生するなど、広域複合災害の様相を呈している。

本稿では、平成30年7月豪雨災害で被害を受けた岡山県倉敷市真備町における取組を紹介する。西日本豪雨とも呼ばれるこの災害は、特に岡山県、広島県、愛媛県において多数の犠牲者が発生し、ピーク時における避難者数が4万人に達した(総務省消防庁2018)。

倉敷市では、最大浸水深が5.38m に達し[*1]、同市真備町では町全体面積の約3割が浸水、51名が犠牲となった。その後の岡山県や倉敷市による当時の避難行動の調査結果では、避難した住民が非常に多かったことが報告されている。紹介する調査結果は、倉敷市が平成30年12月に真備町在住の約2,900世帯を対象に実施した発災時の避難行動実態である[*2]。

図-1をみると、7月6日22時の避難勧告、23時45分の避難指示発令の段階に該当する時間帯で、全回答数(347)の内、225回答(64.8%)が避難を開始している。過去の事例と比較してみても、非常に“よく避難されている”といえるだろう。

図-1 真備町における避難行動の実態[*2]

そして、被害の特徴は、何といっても犠牲者の51名の内、88.2%にあたる45人が65歳以上の高齢者である。死亡場所では、自宅が86.3%であった。

■2-サツキPROJECTの取り組み

平成30年7月豪雨災害における真備町の被害の特徴は、自宅で命を落とした高齢者が多いことにある。同じ被害を繰り返さないためにはどのような対策が必要なのか。一つの解決策として住民自らが避難機能付き共同住宅の建設を成し遂げた。

被災当時、介護事業所の代表である津田由起子氏は利用者の安否確認や救助を行っていたが、すべての利用者の安否が確認できたのは発災から約40時間後で、最後に確認できた高齢独居の方は自宅の寝室で息を引き取っていた。

もし、2階に逃げることができていたら。通い慣れて、かつ安全な場所、最低でも垂直避難ができる場所が身近にあれば命が助かるのではないか。

この考えに賛同した住民から、「2階は無事だったが1階は浸水したアパートを利用してほしい」という申し出があった。そこで津田氏がアパートを借り受け、第1号の建設が始まった。

図-2 完成したアパート

共同住宅のプランは、次のとおりである。

全8戸の内、2階の1戸をコミュニティルーム兼地域の防災拠点として開放する。ここには、地上から車椅子でも直接アクセス可能なスロープを設置する。コミュニティルームのリフォームは地域の方と話し合いながら取り組むことによって、交流が生まれやすくなる。

入居者は、支えあう生活や災害時には自宅が避難所となる可能性があることを理解して入居できる方を条件とし、現在では若い世帯や高齢者など多様な世帯が居住している。お互いがお互いを気にかけ合い、かつ、お互いのプライバシーを確保しながら生活を営む。毎週水曜日には、住民同士で体操とお話を楽しむ会を開催し、緩やかなつながりを紡いでいる。

図-3 左:スロープを活用した子ども向けイベント、右:クリスマスイルミネーション

■3-おわりに

本事業は、頻発する水害の避難を巡る諸課題の一つの解決策として、リスクと共存する暮らしのあり方を提示している。また、被災者の早期生活再建の視点では、行政が建設した災害復興公営住宅よりも1年ほど早く施設を完成させ、入居ができた。このスピード感をもった対応ができた背景には、既存のストックを活用し、再生利用している点がある。

行政では実現が容易ではないことは、地域と企業が連携して取り組み、この取り組みを行政が支援する。このような事例がハード・ソフト問わず増えることで、避難や社会の諸課題の解決に結びつく多様な選択肢が社会に備わる。

誰もが多様な選択肢の担い手であることを意識し、今できることを共に考え、価値ある未来を目に見える形で次世代につなぐことこそが、サツキPROJECTの願いである。

【参考文献】
*1 土木学会水工学委員会:平成30年西日本豪雨災害調査報告速報
*2 倉敷市:防災まちづくりに向けた避難行動に関する調査、平成30年