わかり易い土木 第32回 河川の話 日本の河川災害対策

わかり易い土木 第32回 河川の話 日本の河川災害対策わかり易い土木 第32回 河川の話 日本の河川災害対策

わかり易い土木 第32回 河川の話
日本の河川災害対策

アジア航測株式会社 事業推進本部
社会インフラマネジメント事業部
大友 正晴

昔から人類と河川災害との闘いが続いています。そこで、最近の河川災害として注目されている、「流域治水」について私と一緒に勉強していきましょう。


■はじめに

私は専門を道路・交通としていますので、河川に関しては詳しくありません。そこで、元河川管理者として従事されたO氏に教えていただくことにしました。今回のシリーズは、最近言われている流域治水についてこれまでの経緯と流域治水の意義などについて教えて頂いたことを皆様にご報告させていただく事にしました。今後の皆様の河川災害に対する一助となれば幸いです。

先ずは過去の河川との闘いの歴史を簡単に紐解きます。

■「信玄堤」

人類は歴史の始まりから水害とその対策を度々繰り返してきました。治世者は恒に洪水と闘うことが必要でした。中でも戦国時代、甲斐の武田信玄が釜無川や笛吹川などに構築した「信玄堤」は、ご存じの方も多いと思います。信玄堤は霞堤とも呼ばれ、右図のように川の流れと逆に八の字に堤を何段にも築きます。洪水時にその隙間から溢れさせ、水位が下がると川に戻るという仕組みです。今にも通じる考えだと思います。

江戸時代になると利根川の流路を現在の江戸川から現在の利根川に変える大工事が行われました。また、埼玉県内から東京湾にそそぐ荒川も、元々は現在の元荒川が本流で付け替えられた河川です。

江戸中期以降でも島津藩による宝暦治水は、漫画にもなり大変な難工事だったそうです。木曽川・長良川・揖斐川の三川は濃尾平野を貫き、分合流を繰り返す地形でした。また、国境ということもあり、総合的な治水対策ができずに洪水が多発する地域でした。そこで三川の分流や堤防築造などの工事が行われてきました。薩摩藩が幕府の命令によってこれらの治水工事を行ったのが、宝暦治水です。宝暦治水で薩摩藩は、莫大な出費と多くの藩士の犠牲のもとに工事は行われました。しかし、当初計画の三川分流は、明治になるまで着工できませんでした。

北陸の信濃川も新潟平野で氾濫を繰り返していたため、大河津分水と呼ばれる分水路が江戸時代に計画され、明治になり着工され大正時代に完成しました。

明治になると所謂「お雇い外国人」らによる近代的な河川技術が導入されました。この頃から、高水(高堤防、捷水路)方式と呼ばれる連続した堤防の築造、河川の湾曲を減らすなど流れを変えたりする方法が洪水対策の主流となりました。

■戦後の河川洪水対策

戦後も台風や大雨による洪水が続きました。日本の治水は次の考えで行われてきました。川幅を拡げること。ダムや遊水地などで流量を減らす。浚渫して川底を掘り下げる。放水路などバイパスを造って流量を減らす。つまり河川の改修・改良とダム・遊水地などを整備することが洪水対策となります。 中でもダムについては我が国の戦後の社会経済の発展に伴い、水力発電用のダム建設に始まり、工業用水等の河川水利用増大や、洪水対策などに対応した多目的ダムが建設されるようになりました。佐久間ダム、御母衣ダム、黒四として知られる黒部ダム、矢木沢ダム、徳山ダムなど多くのダムがそれです。

戦後の河川水の高度利用により水需要や治水対策を一貫して行うため、昭和39年の法改正では、水系を上下流一貫して管理すべきとなり、国が管理する1級河川区間と都道府県が管理する二級河川区間とが定められました。

 それでも水害は無くなりませんでした。

◆一級河川と二級河川?一級河川と二級河川の違いは、簡単に言うと、一級河川は国が管理する河川。二級河川は、都道府県が管理する河川のことです。河川法という法律で定められている内容からは、一級河川は、「国土保全上、国民経済上特に重要な水系でかつ指定された水系を一級水系としており、この一級水系のうち、国が管理する河川」を言います。二級河川は、「一級水系以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で、なおかつ河川法による管理を行う必要があり、都道府県知事が指定した河川」を言います。ちなみに、一級河川、二級河川の他に重要河川と普通河川があります。市町村が指定した河川で市町村への影響が大きい河川を準用河川と言います。普通河川は、河川法の適用外の河川のことです。

■近年の水害

人々は長い歴史にあるように、洪水と戦ってきましたが、洪水は後を絶たずに頻繁に発生しています。最近の主な洪水発生を右下の表にしました。毎年のように起きているのが判ります。

地球温暖化により異常気象が言われています。集中豪雨の雨量や、線状降水帯など断続的に雨が降ることは、かつては無かったように思います。したがって、河川対策おける降水量の推定が、最近の雨の降り方に合ってないように思われます。通常、河川計画では過去の降雨量から何十年に一回降ると推定される大雨による河川の流量を設定して対策を計画しています(これを計画高水量と言います)。しかし、河川計画では、本流と支流でぞれぞれで計画されている状況にありました。これまでは、本流の流れのピークと支流・中小河川のピークは重ならない、ピークはずれるだろうと想定されてきました。しかし、最近の線状降水帯などでは同じような雨が一気に降ることによって、ピークのずれは起きないようになってきたと考えられます。

そのため令和2年7月の球磨川の豪雨災害のような大災害が発生しました。7月3日から4日にかけて球磨川流域で大きな降雨がありました。いわゆる線状降水帯と呼ばれた線状に伸びた雲が連続的に降雨をもたらすことで大雨となったものです。これが、球磨川流域全体で降ったことで、流域全体で氾濫が起こりました。多くの住宅が浸水被害を受け、橋も17橋が流されました。人的にも大きな犠牲者を出す甚大なものでした。(下の写真は国交省HPより)

平成21年8月兵庫県佐用町豪雨災害
平成23年7月新潟・福島豪雨
平成24年7月九州北部豪雨
平成25年7月山口・島根豪雨
平成26年7~8月平成26年8月豪雨
平成27年9月関東・東北豪雨
平成29年7月九州北部豪雨
平成29年7月秋田県大曲災害・雄物川氾濫
平成30年6~7月西日本豪雨
令和元年6~7月九州整備豪雨
令和元年8月九州北部大雨
令和2年7月令和2年7月豪雨
令和3年8月※台風を除く 停滞前線による大雨

このように、従来の河川計画の予想を超える洪水が発生したことと、河川の本流だけとか支流だけの計画だけでは防げないため、河川流域全体で治水を考える必要が生じたものです。流域治水と言います。

 次回からは、この流域治水についてもう少し詳しく勉強したいと思います。