お城における土木の話(6)

お城における土木の話(6)お城における土木の話(6)

お城における土木の話(6)

アジア航測株式会社事業推進本部
社会インフラマネジメント事業部
大友 正晴

最終回の今回は石垣の構造についてお話しします。

石垣の構造

石垣の断面は右図のようになっています。

石垣の構造で先ず重要なのは、根石です。家を建てる時に土台を構築してその上に家屋を建築しますが、根石は石垣の土台となる部分にあたります。

そして根石の上に石垣の本体である積石を積んでいきます。積石を積む際には、その位置とかを調整する飼石を置きます。また穴太積みなどでよく見られる、積石の表側で積石の隙間を埋める間詰石が用いられています。

石を積むのに、垂直に積むことは先ず無理です。そこで、斜めに勾配を付けて積みます。昔は、計測機械など無いため、縄などを垂らして縄に沿って積石を積んだと聞いております。

石垣の勾配は、地盤の耐久力(地耐力と言います)の強靭さによって変わります。強固な地盤では垂直に積むことが可能となります。熊本城の石垣に見られます。一方、地盤が弱い場合には、緩い勾配にして積んでいきます。これを寝かせるとか言います。右の写真にあるように松本城の石垣は緩い勾配となっているのが判ると思います。

松本城石垣の緩い勾配

上右の断面図に胴木と松杭を紹介していますが、地盤の悪いところで石垣を積むときに根石の下に設置する工法です。いまでも、管渠などを敷設する際などよく使われる工法です。胴木とは、梯子胴木とも呼ばれ、長手の木材に梯子のように短い木材を一定間隔で置いてつなげた工法で、梯子を置いたように見えることからこう呼ばれています。

また、松杭も古くから基礎として使われる工法で、梯子胴木と合わせてより強固にする場合もあります。平城などでは河川や湿地付近に造られる場合があります。そういう場所では必ずと言ってよいほど地盤の弱いところがあるため、平城の石垣では胴木や松杭が使われれることが多くあります。

石垣の構造の要素で重要な要素として、断面図に記した栗石があります。石垣は積石が表面にあることから、一般の方々は積石だけで出来ていると思われているのではないかと思います。

しかし、強靭な石垣には栗石を厚くしている場合があります。栗石が厚くするほど強固になっていると私は教わっています。盛岡城の石垣修復現場でも栗石を厚くしてあるのを見ています。また、ネットで、静岡城の石垣修復現場写真でも、分厚い栗石が写っていました。

右の写真は、小田原城二の丸中堀の石垣復元工事の時の写真ですが、栗石が厚く築かれているのがわかります。また、小田原城のこの二の丸中堀の石垣の石垣の下からは、梯子胴木の遺構がありました。つまり、江戸の頃からこのあたりの地盤は弱いことが認識されていたと思われます。

石垣の弱み

お城において石垣は強固な防御施設として築造され来ました。しかし、石垣もオールマイティではありません。

前の頁でも述べましたが、石垣の積み方、地盤の強度、根石や胴木などの基礎、栗石の厚さなどが不十分だと、その強靭さは損なわれます。

これ以外にも石垣の強敵と言うか弱みがあります。

・空積みであることから、時間経過とともに、石垣(積石や栗石など)は緩んだりします。

・地震などの揺れで崩れることも、熊本城でご覧になられた方も多いと思います。前述の小田原城も江戸時代から大きな地震が起きるたびに石垣が崩れたという記録が残っています。

・樹木による緩み 石垣に松や桜が映えるとして樹木を石垣天端付近に植えられていることが多くあります。しかし、石垣の近くにある樹木は根が張ると石垣を内部から緩めたりして崩壊の要因となることがあります。

【閑話休題】

今年4月17日の夜、愛媛県・高知県でマグニチュード6.6、震度6弱の地震がありました。ニュースによると被災した町の中に下の写真にある外泊という町がありました。この町が石垣の里ということ

を初めて知りました。この町も地震に襲われ、少なからず石垣が崩れている画像が流れていましたが、震度6弱でも思ったより大きく崩れているようには見えませんでした。おそらく、石垣の積み方がしっかりしていたこと、空積みなので水圧を受けていないこと、地盤が意外に堅固だっただろうこと、裏込め=栗石も十分に厚く?造られていたこと?のではないかと考えられます。この町の石垣について何も知りませんので、外れているかもしれません。

ただ、石垣は日本人の生活の中で、今もしっかり共同生活をおくっているという事は、石垣マニアとしてはうれしい限りです。

今回が最後となりました。十分お伝え出来たか分かりませんが、城という工作物にも土木が大きく関わっている事が、少しでもご理解いただけたら幸いです。