お城における土木の話(3)
アジア航測株式会社事業推進本部
社会インフラマネジメント事業部
大友 正晴
今回からは、お城のパーツについてお話したいと思います。取り上げるパーツは、門というかお城の出入り口(虎口と言います)に関して、城を囲む堀・濠、濠や城を防護する石垣、などが土木としてのパーツであります。ちなみに建築としてのパーツには、櫓(隅櫓など2階以上の建物や、連続した多門櫓などと称した平櫓がある)、門、天守閣(天守は櫓の一種でもある)、御殿、などがあります。
門について
建築物でありますが、城の出入り口として重要な要素なので先ずは門についてお話しておきましょう。
門は、今でも民家の出入り口に設けられていることもあり馴染みの建造物と言えます。大手門(追手門などとも書きます)という言葉を聞かれたり見られた方は多いと思います。大手門とは、城の正面玄関、正門のことを指します。逆に搦手門というのは、裏口(裏門)のことです。攻められたときに弱いという意味合いもありますね。これらは、場所によりつけられた門の言い方です。
門には、冠木門、棟門、薬医門、高麗門、櫓門などがあります。
先ずは、平屋門と言われる一階のみの門です。
冠木門:2本の門柱の上部に梁(これを冠木と呼ぶ)を架けその下に扉を設けた門。梁の上部に屋根を設けた場合もあります。今でも、一般家屋等で見られる門です。
棟門:屋根付きの門のこと。冠木門よりもがっしり造られた構造をしています。
薬医門:左右の鏡柱と鏡柱の後ろで支える控柱に屋根を設けた門。高麗門は、薬医門を簡略した門のことです。
次に二階建ての門です。時代や造りによって様々な言い方がありますが、ここでは城に関して呼ばれ櫓門の言い方でお話します。櫓門は二階建ての門の総称でもあります。
楼門:独立した二階建てで上部に屋根を持つ櫓門のことを言い、下層に屋根の無い門を指しますが、屋根のある場合は二重門と呼ばれています。ちなみにお寺の山門(三門)も楼門であります。
櫓門(渡櫓):門の上を石垣の間を渡すように櫓が造られた形状をしておりそれを渡櫓と呼ばれますが、渡櫓は櫓との間の多門櫓を指す言葉でもあります。
虎口(ここう)
虎口は、城郭や曲輪の出入り口のことです。つまり、城郭内の軍勢が出入りするところですが、攻め手からは集中して攻撃、進撃の入り口でもあります。そのため攻防の要として最も重要な場所であります。
攻め難く守り易いことが求められた虎口には、様々な工夫が施されました。最も基本的、原始的な形態として平入りと呼ばれ、構成される曲輪の真正面に設けられる虎口で、守りには弱いものです。そこで、虎口の内側に蔀(しとみ、蔀土居)、外側に芎(かざし)と呼ばれる一文字形の防塁が構築されました。これらは、一文字虎口と呼ばれたようです。攻め手が直線的に侵入してくるのを防ぐもので、進路を屈折させることで侵入を防ぐ手段としているのです。虎口で平入りのような形状の場合には、横から攻め手を攻撃することはできません。そこで、防御しやすいように虎口の形式も進化してきました。ここからは、進化した虎口の形式を次頁の表にまとめました。また、東日本中心に発達した馬出も虎口の一種です。大阪冬の陣で有名な真田丸は、大きな馬出の一つと言えます。
形式 | 形状 | 例 | 略図 |
喰違虎口 食違虎口 (くいちがいここう) | 土塁や石垣を平行ではなく喰い違いにすることで、攻め手がS字やN字、Z字の進路を取らなければならず、側面からの攻撃も受け易くなります。 | 江戸城の喰違門跡が今でも見られます。外濠の迎賓館の近くに、紀尾井ホールから外濠通りの紀之国坂に出るところにあります。 | |
枡形虎口 (ますがた ここう) | 虎口の枡形で囲み門・出入口を二重にすることで防御力を向上させた造りです。桝形には内側・城内川に桝形を造る内枡形と外側に造る外枡形があります。 枡形は、防御に優れます。攻め手は周囲から鉄砲や横矢を射かけられるため防ぎようがないためです。 | 江戸城では、外桜田門、清水門、田安門などが、大阪城でも蛸石という巨石で有名な桜門などで、小田原城二の丸で復元された銅門、丸亀城、他にも近世のお城ではよく見られるはずです。 平地の狭い山城においても、枡形を構築している場合もあります。 | |
馬出 (うまだし) | 虎口の外側前面に構築される小さな曲輪のことです。形状から、丸馬出、角馬出、不整形の馬出に分けられます。これが大きくなった馬出曲輪と呼ばれる曲輪もありますます。虎口の防御としての機能を持つとともに、馬出とあるように攻撃の出発点としての機能を持つものです。 | 遺構は少ないようですが、五稜郭は判り易いと思います(欄外の写真参照)。その他には、静岡県にある諏訪原城(欄外写真参照)、名古屋城、篠山城などで見られるそうです。 馬出は関東や東海地方に多く見られますが、西日本ではあまり見られません。 |
虎口は防御のためのものですが、馬出は防御のみでなく攻撃にも有利と言われています。真田丸での攻防はその機能を大いに発揮したものと言えます。
右の写真に五稜郭の馬出が見られます。しかし、大阪の役のころに比べ大砲の威力が格段に上がった戊辰戦争では、機能を発揮することはありませんでした。
左の写真は、今年で築城450年を迎えた諏訪原城の丸馬出です。形状がはっきりして分かり易いですね。
次回は、堀・濠などについてお話します。