これも土木 第1回
お城における土木の話(1)
アジア航測株式会社事業推進本部
社会インフラマネジメント事業部
大友 正晴
昨今、お城ブームが起きていることをご存じでしょうか。「レキジョ」や大河ドラマの「真田丸」「西郷どん」のヒットなどからだそうです。お城と言えば天守閣が象徴的建造物として人気が高いと思います。しかし天守閣は建築物です。では、お城の中の土木についてお話したいと思います。
はじめに
お城は天守閣ばかりだけではありません。お城には、城主やその家族などが住んでいた御殿、蔵や門、櫓、塀などの建物、そして石垣、橋、濠などがあります。そして、これらを配置することを縄張りと言います。このように、お城は様々なパーツで構成された軍事施設であります。
そのお城の構築には建築と土木の技術が駆使されています。江戸時代前後には、建築物の構築を「作事」と呼ばれ、土木工事のことは「普請」と呼ばれていました。
◆作事と普請古くは禅宗の寺で多くの人々により堂塔の建築することや道・橋・水路・堤防の建設など土木工事を総じて普請と言っていました。室町時代頃から、建築は作事、土木は普請と分けて言われていたようですが、江戸末期頃には、作事と普請の差異があいまいとなっていたようです。今では、家を建築することを普請と言っていますね。 |
お城における土木「普請」
城における土木構造物としては、縄張り、曲輪(郭)、濠・堀、橋、門(虎口)・桝形・馬出、土塁・石垣、堀切・切岸・竪堀などがあります。これらを構築することが普請です。
NHKの大河ドラマで長年にわたり建築考証をされていた平井聖氏監修の「日本の城を復元する」の中で、近世の城郭建設の流れ(右図)が説明されています。地選で大まかな建設エリアを決めて、地取で具体的な築城場所を選定、縄張で本丸や二の丸などの配置、城の形状を決めます。そして普請で堀や、土塁、石垣などを構築します。最後に作事で天守や御殿、櫓、門などを建築します。
縄張り
城の縄張りとは、城の平面及び諸施設の配置計画のことです。動物のテリトリーを意味する縄張りとは異なり、お城の本丸を何処に置くとか、二の丸などの郭の配置や、防御施設としての堀や土塁をどのように囲むか、出入り口(虎口と言います)の位置・形状をどうするかなどを計画・設計することを縄張りと称しています。
ところで、中世の頃の城は山に構築されることが多くありました(これを山城と言います)。やがて山城から平山城、平城と山から里にも城が構築されるようになりました。したがって、山城と平城との縄張りにも大きく異なるものがあります。基本的に城は地形に沿って構築していきますが、山城の縄張りの場合には地形による制約が大きく影響されます。一方、平城の場合には、地形とくに川・湖沼や海岸の影響はあるものの山城に比べて地形に拘らない縄張りが可能となります。江戸城の外濠では、現在の水道橋から昌平橋間でもともと山だったところを掘削するなどの大規模な普請も行われています。
先ずは山城の縄張りについて説明します。
山城の縄張り
山城は、急峻な山岳地形を利用した城で、攻めるに難く、守るに堅い構造をしています。そうは言っても、兵が滞在するためには、平地(曲輪)も必要です。この曲輪を整えることを削平すると言います。山の頂上や尾根などを削平して曲輪が構築されます。また、曲輪と曲輪を結ぶのに橋を設けます。当時は、木橋を架けるか土橋と言って土で造った橋で連絡できるようになっています。その他山城のパーツには、防御するために土を盛った土塁、斜面を急にする切岸、尾根からの敵の侵入を防ぐための堀切、攻めての横への移動を防ぐために山腹斜面に竪堀(斜面に沿って縦に堀を設けます)、竪堀を連続して設ける畝状竪堀群、斜面の同じ高さ付近に掘り下げる横堀があります。曲輪の入り口は虎口と言って防御の要となるので、侵入されにくいように喰い違いするなど工夫することもあります。(下図参照)
これらはすべて普請、つまり土木により構築されるものです。これらに、簡単な柵や塀を設置したり、門を構えたりすると城らしくなります。さらに、曲輪に天守や御殿を建てたり、櫓や狭間を設けた塀、櫓門、石垣などを構築すると、伊予松山城(下の写真参照)のような近世の山城となります。
次回は、平城の縄張りについてお話します。