「これも土木」を発見する話(5)

「これも土木」を発見する話(5)「これも土木」を発見する話(5)

「これも土木」を発見する話(5)

(特非)シビルNPO連携プラットフォーム 理事
NPO法人州都広島を実現する会 事務局長
野村 吉春

  • はじめに

この連載に、お断りなく2回の休筆をいただいたことに、まずはお詫び申し上げます。

これまで、一貫して「市民社会から見えている土木と、見えてない土木の溝を埋めること」に努めてきました。要するに、「土木=土木工事」だけじゃないんですよ。その前には構想・計画・設計という、多くの市民が日頃余り目にされない仕事が必要なのです。今回の第5話は、その「地域のかたち(後編)」=「これも土木=構想・計画・設計」という段階の話を、解りやすく具体例で紹介したいと思います。

筆者は元々コンサルタントですから、日常的に「地域のかたち」に接する立場にありますが、今回は私自身が30代後半から40代の一番脂の乗った時に担当した「選りすぐりの業務」を紹介します。

  • 事例紹介-1 山陰自動車道の基本設計 
発注者建設省・中国地方整備局・浜田工事事務所 (旧名称で表示しています)
計画地島根県江津市黒松町~益田市飯井浦町(山口県境)
業務概要表記の区間81kmについて、縮尺1/5000地形図を用いて山陰自動車道の基本設計を行う。  成果品としては、報告書(概算事業費の算定を含む)、縮尺⒈/5000平面図、同縦断図、横断図等

(*0.0) 前もってお断りします。今回の事例は、一部に企業倫理に甘い部分があろうと思いますが、今から凡そ40年以前には、仕事が「人と人との信用」で繋がる時代で、顧客の上司は筆者よりご年配ですから、「どなたにも失礼にならない」と信じています

  • お仕事のご縁

この業務は建設本省から地方局を通じて、事務所に向けて事務所管内の山陰自動車道の未成区間について大至急(10日間で)基本計画の青写真を示せという話です。

事務所は、国道の改修やバイパス建設が主体で、高速道路を計画した経験が無く、お手上げ状態。事務所に出入りする複数の業者に打診するも、みな「出来ません!」(*1.1)と断わられ困り果てていた。丁度そんな折りに、別件で事務所に伺っていた筆者にも、担当課長に声をかけられ、概要を聞いた上で、「やりましょう!」(*1・2)と答えたのがコトの始まりです。

(*1.1) 標準仕様書の定める所は(一番重要な平面図だけで22枚、縦横断図を含め全250枚に及びます) 今時のように自動設計のない手書きの時代、出来なくて当然です。これがごく普通のコンサルタントです。しかし、設計書などは後で遡って作るのですから、そこは双方の協議なのです。

(*1.2) 筆者は 「顧客が何を求めているのか?を掴めれば、求めに必要な成果を提供する。」という方針。しかもこの地域をよく知っている強み。更に「物語を語る」というのは得意で、優れた計画チームがあること。これは、あの当時は測量会社が「OO測量設計」と看板を掛け変えた時代ですから。

  • 夢を見るような構想じゃないか!

(上文の続きです)先ほどの筆者の返事を聞くと、担当課長はピョンピョンこ踊りして「お前も来い」と所長室に飛び込むので一緒に入った。 所長(*1.3)はすぐさま「やあ、君がやってくれるのなら安心だ!」と、そう言われて、筆者の方も固い緊張感が少し解けました。

(*1.3) ここの所長は、局の企画課長時代に、中国地方の高速道路の計画業務で、既に周知の間柄であった。

  • そして、所長はおもむろに語り始めた。

一つ目は、「ドイツのアウトバーンのように速度フリーで走れるような線形を描けないか!」「これは本省からそういう指示が出た。」とも付け加えられた。

筆者は、これには、「まるで夢を見るようなスゴイ話ではないか!」と驚喜しました。

そもそも、「白地図に高速道路81kmの一番はじめのルートを描く」という作業自体が、道路の技術者冥利に尽きる。でもねえ、これは実はとてもハイレベルな仕事なんですよ。

それに、本件は私の描いた計画図が、まずは事務所で、次に建設局へ、そして建設本省へと、それぞれの段階で「いい計画だな」という合格を得る・・・という関門をくぐる訳で、このハードルは高いものがあります。

  • そこで、以下のような構想を立案しました。

①日本の国土軸は、大筋として「環太平洋軸」の他に「環日本海軸」が必要で、その一環を担う。

これは、国土の均衡ある発展のほかに、天災や事故があっても国土の分断を避けるという狙いもある。(*右の添付図は当時に描いていた模式図です。国土軸のなかで、最初に計画されたのは6大都市を最短で結ぶ中央軸であったが、混乱があり、その後複数の国土軸が提案されている。)

②次に、設計速度(km/h)をどう想定するか!

欧州の速度規制は表の通り120~130と著しく高い。ドイツでは速度フリーの区間もあるが推奨速度は130としている。そこでどういう提案をするべきか?

軽々に新基準の設定する訳にはいかないので、道路構造令の定める最高速度の120を基準に線を引き、低くとも100km/hのサービス速度(*1.4を提供した。

(*1.4)道路の速度には、「設計速度」以外に「規制速度」、「実勢速度」などの概念が有り、その何を適用するかという思考が必要になります。「設計速度」は舗装状況、湿潤状況、タイヤの品質などの安全サイドをとって設定していますから、今どきの整備された乗用車であれば、 120の道路を130以上で走ることは容易で、かなり安全圏にあります。その辺の事情も知っておく必要がります。

③僻地にだって、高速道路が必要なワケ?

あの時代にはそういう議論をあまりしなかったけども、現在の都市住民には「無駄な公共事業」と考え「そんな僻地には高速なんて要らない!」と言う人も少なくないであろう。

現実に、この管内(=石見地域)の西部に位置する益田市(合併した匹見町)は「日本の過疎発祥の地」とされる。また東部に位置する江津市は本州で公共交通機関使って行く場合、「東京から一番遠い都市」と言われています。

なんと不名誉な話ばかりですが、そこで筆者は考えるのです、未来の「この国のかたち」「地域のかたち」を考え、今回のケースは、「そういう不便な地域にこそ抜本的な時間短縮が求められるという物語(*1.5)」が必要なのです。(重要)

(*1.5)世の中、様々な事業を、単純にB/Cで論じるケースが多い訳ですが、本件のような「未来プロジェクト」には「常識を排した、未来への夢のある理想郷を描く」と言う、一見すると非常識に見える「発想の転換」が必要ではないでしょうか。

④高速性を 「内・外」物流ネットワークの強化に繋げたい

浜田漁港は山陰では境漁港に次ぐ水揚げ高を誇る日本海有数の水産都市です。

隣接する浜田商港は釜山(韓国)とウラジオストック(ロシア)への国際定期航路を持つ。そんな「水産物流+国際物流」に山陰道への直結道路を設けたい。

  • 所長の二つ目の要望は、「石見地域ならではの、ドライブを楽しんで欲しいので、景観の良い道路を計画して欲しい」という要望でした。

この要望についても、筆者はドライブが好きで、「この地域を公私共々よく訪ねている人間」ですから、これは願ってもない、素晴らしい指摘を頂きました。

そこで、以下のような構想を立てました。(*東側から観光ガイド風に案内します)

①赤瓦の街並が美しい・・・山陰自動車道は江津市に入ると、やがて中国地方一の大河「江の川」を渡ります。しばらくすると視界が開けて、右側に「全て赤瓦の街」といっても過言ではない風景が広がります。その主産地こそが江津市です。最近は瓦の需要が減少したので、壺や茶器も生産しています。

②中国横断道とのジャンクション・・・下府川を高さ90メートルの橋梁で越え、高規格を維持しながら中国横断道・広島浜田線にジャンクションで交差します。(*2.1)この先は浜田市街の裏山三階山などのトンネル区間となります。

(*2.1)そこで中国横断道(広島浜田線)を一部使って、国道9号BPを経由してBPに併設された「道の駅浜田」に立ちよれば、眼下に浜田魚港を展望出来ることから、この道の駅の利用率は非常に高く、夕日パークとも呼ばれます。

③日本海・絶景のドライブコース

浜田市街を、を過ぎると日本海の大海原が益田まで 続きます。国道九号線とJR山陰線が海岸線を所せましと走っていますが、山陰自動車道はその上の標高30m~50mの比較的なだらかな地形に高規格な線形を挿入することができました。ドライバーから見える「日本海の大海原」「沈む夕日の美しさ」「夜になると漁船の漁り火」・・・筆者は、時間帯を選んで、これを何度も実体験しています。いい場所に計画線が引けた喜びです。

④益田市に入ると風景は一変して平地が開けてまいります。ここに「益田市発展への核となるIC」を計画し、JR益田駅直通の4車線のアクセス街路を提案しました。 他方で、国営農地開発事業によるメロン、トマト、ブドウ、また養鶏や牧牛も盛んで、中国地方よりも関西・関東方面に出荷。大変優れた事業展開をしています。やがて山陰道は中心部を流れる津川を跨ぎ、石見空港にアクセスしつつ、萩市に向かいます。

  • 道路への更なる役割の提案

*コンサルは発注者から「指示されたことだけやればよい」と言うのが一般的ですが、筆者は「それじゃダメでしょう」と思っていました。

道路はB/C等の経済性だけでなく、もっと幅広くこの地域独自の優れた歴史・文化・グルメなどの資源を探索し、この石見地域への幅広い交流への役割を考察したいと思います。

①浜田を中心に幅広く行われている「石見神楽」ですが、この地域を代表する芸術あるいは文化と言ってよいでしょう。

②江津の石州瓦と並んで「石見焼」の窯場が10ヵ所くらいあります。味わい深い逸品もあり、一個五千円以上します。

③浜田の名産物は何といってもお魚、高級魚ノドグロ(日本1位)、アンコウ(3位)、アジ、サバ、カレイ、イカ・・全て遠方モノとは味では比較になりません。広島の魚屋は半分以上を浜田産に依存しています。

④益田のM牧場のブランド牛は現在8千頭(=国内有数の規模)飼育され、上質の肉を生産し、益田市本社のスーパーK以外には、広島を飛んで関西・関東に出荷されています。(*3.1)

⑤高津川は国管理河川での水質第一位を誇る名川で、鮎や川ガニ(*3.2)は絶品。その味は中国地方1と評価されています。

(*3.1)筆者は益田に行くと必ず買って帰る一品です。

(*3.2)鮎は春~夏に、蟹は秋口に海から遡上する「上海ガニ」と同種で、

  筆者はその時期を狙って、毎年食べに通っているグルメファンです。

高津川の鮎と川ガニは最高の逸品。これで一泊二食1万2千円ですよ!

⑥グルメの話題が続いたので、歴史や芸術にも触れておきましょう

まず1人目は室町時代に活躍した「雪舟」です。

水墨画の巨匠。石見を終焉の地と選んだことに因んで益田市に「雪舟の郷記念館」を設けています。雪舟の水墨画(*3.3)は、どこかに日本海の荒波や断崖の風景に通じるものがあるように私には思えます。

雪舟はその他に「雪舟庭園」を全国に18作庭し、石見地域には江津市1,益田市3存在します。

(*3.3)雪舟の山水画は全6点が国宝指定されています

⑦もう一人、「歌聖、柿本人麻呂」を外すわけには生きません。

石見国の益田市に生まれ、飛鳥時代から奈良時代に宮廷歌人を努め、晩年は石見国府の役人を努め、そして石見国で没したとされている「柿本人麻呂」は、万葉集の中でもっとも数多くの歌の数を残している「歌の巨人」として、今日にも大きな存在感を残している。

●「柿本人麻呂、没後1300年記念イベント」に参加した

筆者は、昨年(2023年)26日から2日間の日程で参加した。

「益田市の島根県芸術文化センター・グラントワ」で、県知事らの列席の下で、来場者約200人が、2日間にわたるイベントに、益田の宝「柿本人麻呂」に思いをはせたとの報道。(山陰中央新報)

筆者の趣味を明かすようですが、「土木人で有りながら音楽ファン」として、 この2日間のイベントは、非常に格調が高く(原作、編曲、演出、楽器、歌唱の全てに関して)素晴らしいと感じた。

終演後に、事務局長にお会いして、私が広島から来たことも伝えつつ、大変素晴らしかった旨の感想をお伝えした。

ただ問題は、「没後1300年祭」への力の入れようにも関わらず、聴講者がたったの200人という少なさは何故? 800人の満席でもおかしくないはず・・と事務局長にお伝えした。(*3.4)

■アウトバーンは実現したのか?

筆者は現状を以下のように評価しています。

  • 完成(暫定2車)42.9km(53.0%)は、未だ道半ばと言わざるを得ない。
  • 暫定2車の場合の規制速度は70kmのため、これは高速道路と呼べない。
  • 現在の暫定2車から、完成4車への動きが全国的に高まっており、本件の江津道路も17.6kmも計画に入っており、一部アウトバーン並が実現する。
  • 山陰自動車道のうち、工事中の三隅益田道路、予算化された益田道路の一部の開通で、当座は60.9km(75.2%)が待たれる。
  • いずれにしろ④の全区間の早期4車化を臨むところで、75.2%のアウトバーン並が実現すれば、江津市や益田市への大幅な時間短縮が実現し、この地域の国内外の物流ネットワーク、更には各種のグルメ、芸能、文化、歴史への大いなる交流を期待できる。

(*3.4) 幅広い道路の役割として、速度が2倍になれば、「地域の交流エリアは4倍に広がるという原理」、こういう理解の重要性を知って欲しい。

 例えば、前掲の3/4空席の「柿本人麻呂」のイベントに、筆者の住む「広島~益田」現状4時間から、横断道の4車化と山陰道のアウトバーン化による、1時間10分に短縮されれば、日帰りで参加できる。これは、益田市の人口は5万人だが、広島市の120万を取り込める効果が期待できる。