荒川放水路通水100周年記念を踏まえた 「赤水門(旧岩淵水門)の重要文化財指定を考えるシンポジウム」について ~地域住民の想いが詰まった文化財~

荒川放水路通水100周年記念を踏まえた 「赤水門(旧岩淵水門)の重要文化財指定を考えるシンポジウム」について ~地域住民の想いが詰まった文化財~荒川放水路通水100周年記念を踏まえた 「赤水門(旧岩淵水門)の重要文化財指定を考えるシンポジウム」について ~地域住民の想いが詰まった文化財~

NPO法人 あらかわ学会
伊納 浩

令和6年10月12日は、首都東京を水害から守る「荒川放水路」が完成し通水されてから100年を迎える記念すべき日でした。そこで、私どもでは、放水路の要となる旧岩淵水門が国の重要文化財に指定されたのを記念して「赤水門(旧岩淵水門)の重要文化財指定を考えるシンポジウム」を開催しました。

まず、岩淵水門についてお話します。1924(大正13)年に完成した旧岩淵水門(通称:赤水門)は、1910(明治43)年の東京大水害を機に隅田川の放水路として人工的に開削された荒川放水路(現・荒川)の分派部に設けられた水門です。その後、広域地盤沈下などから治水機能確保するために1960(昭和35)年に門扉の継ぎ足などの改築が行われ、水門の姿(形や色など)を変えました。さらに1973(昭和48)年には水害から都心を守るため、大正期に建設された赤水門を廃止し、1982(昭和57)年に約300m下流に新しい岩淵水門(通称:青水門)が建設されました。

この時、役割を終えた旧岩淵水門(赤水門)は撤去されることとなりましたが、地元住民の方々が『数多くの水害から町を守ってくれた水門を撤去することは忍びない』と訴えがあり旧岩淵水門は1960(昭和35)年当時の姿で現地に残すこととなりました。

それから40年ほどたった2002(平成14)年に旧岩淵水門を建設当時(1924年)の姿に出来る限り戻し(形や色などを戻す)大正期の土木技術を示す価値ある構造物として国の重要文化財にする動きが出でてきました。

しかし、地元住民からは、子供のころからの原風景として長年慣れ親しんだ水門の色や形を、国の重要文化財にするために水門の色を赤からグレーに塗り替えるなど建設当時の水門の姿に修復することについて抵抗を示したため、重要文化財指定への動きは止まっていました。

その後20年ほどたった2023(令和5)年に、翌年の2024(令和6)年に荒川放水路通水100周年を迎えることから、荒川放水路のシンボルともいえる隅田川と荒川放水路の分派部分にある旧岩淵水門を国の宝として重要文化財にしてはどうかとの意見を私どもから旧岩淵水門を管理する国土交通省荒川下流河川事務所や文化庁に投げかけました。

その結果、地元住民が慣れ親しんだ1960(昭和35)年に改築された姿で、2024(令和6)年5月に文化審議会から旧岩淵水門を重要文化財に新規に指定することが決まりました。

このように、旧岩淵水門は、地元住民の方々の想いが詰まった文化財であり、その想いは、日頃の生活の中で育まれ、単に建設当時の土木技術の高さや歴史的価値を示す構造物として当時の姿に修復するのではなく、半世紀近く地域の方々に親しまれ“形”で国の重要文化財として認められたことは大変うれしく思います。

そこで、私どもでは重要文化財となった旧岩淵水門が建設当時(1924年)の姿と改築時(1960年)の姿が2つあり、現地で見ている姿は改築時の姿であることを一般方にも理解していただき、建設当時(1924年)の土木技術の高さや歴史的価値を知っていただくための「赤水門(旧岩淵水門)の重要文化財指定を考えるシンポジウム」を開催しました。なお、シンポジウムの一環としてEボートで川面から新旧岩淵水門の見学をしたり、旧岩淵水門(赤水門)の見どころツアーを実施したりしました。