(特非)シビルNPO連携プラットフォーム 代表理事
山本 卓朗
明けましておめでとうございます。
2024年は、年明けの能登半島地震と航空機事故に始まり、その後も様々な社会的課題に追われる1年となりました。2025年も多難な年になりそうですが、まずはCNCPご関係の皆様がお元気で活躍されんことをお祈りします。
年頭のご挨拶で、2年続けて“適疎な地域づくり”を取り上げてきました。
過疎から脱皮して、“適疎な”社会をめざすべきという論調は、1960年代にもみられるので、新しい議論ではないと考えています。しかし近年、人口減少の影響は、大都市から離れた地域社会で特に顕著になっています。でもその中で、居住人口が減っても、様々な知恵を出して交流人口・関係人口を増やし、地域を活性化させようという活動が草の根的に広がりつつあります。
私たちはこれを“適疎な地域づくり”と呼んでいますが、その輪を如何にして大きくするか、CNCPで出来ることは何か、考えつつ活動していく所存です。
さて、“適疎な地域づくり”のスケールは千差万別です。商店街の空き店舗を利用したコミュニティ拠点から商店街全体の活性化へ、古民家を開発した店舗やミニホテル、歴史的建物群のリニューアルで観光、町全体がアートの町に変身する例もあります。まだら模様に存在する、例え小さくても適疎な地域・地区がどんどん増えていって、一言で過疎と言われてきた町村が、都市との交流も増えて、生き生きとした町村に生まれ変わることを想像しています。
ここで過密・過疎・“適疎”の関係について書いてみたいと思います。
適疎な地域とは? 辞書にも載っていませんし、学者の皆さんには、今後さまざまな議論を展開して欲しいと思います。今のところ私たちは、「それぞれの地域特性を活かした魅力を引き出し、多くの人が “住んでみたい・行ってみたい”と考えるような、過密でもなく過疎でもない地域」を指しています。
一方、過密都市東京という言い方があります。確かに人口密度は高いし、駅の混雑に辟易することも多いですが、住み難いか?と言うとそうではありません。インフラは格段に整備されているし、交通の利便性も比較になりません。でも、戦前からのたたずまいが残っている住宅密集地区は、災害に対しても脆弱ですし、これぞ過密と言えるでしょう。でもその地域の方々にとっては、長い歴史を持ち、ご近所付き合いもしっかり残っている住みやすい町だと思います。このように、大都市の過密の中にも適疎な地域はたくさんあります。さらに、人口が極端に少なくなって過疎と言われる市町村にも適疎な地域・地区があるのも事実です。このように、“適疎な地域づくり”は、過疎といわれる地域の活性化策だけではなく大都市も含めた全国的な課題であると思います。
昨年の年頭の挨拶で、JR発足時代の旅開発プロジェクト“新しい旅”に触れました。私の考えでは「適疎な地域づくり」は、長いこと都会に住んでいて故郷と縁が遠くなった皆さんに向けた新しい“ふるさとづくり”になるのでは?と。私は関西の都会生まれですが、戦中に群馬県に疎開してから6年間も居住した赤城山麓の村を第2の故郷と思っています。“ふるさと”とは、生まれ故郷だけではないのでは?と考えます。適疎な村に小さな滞在施設が出来て、夏休みには毎年家族で訪れる。こんなことを想像すると、“適疎な地域づくり”は、第2の“ふるさとづくり”にもなるのではないでしょうか。
本年もCNCPをよろしくお願いします。
