キラ☆どぼ③ 佐藤工業の米田咲さん

キラ☆どぼ③ 佐藤工業の米田咲さんキラ☆どぼ③ 佐藤工業の米田咲さん
米田咲さん:佐藤工業株式会社土木事業本部設計部設計第一課

こんにちは。米田さんは「土木事業本部」ですが、大学時代も土木専攻だったんですか?

そうと言えばそうなんですが…。専攻は中央大学理工学部都市環境学科です。高校生の時、バングラデシュで日本人のボランティアスタッフが働く姿を見て感銘を受け、途上国に貢献できると説明があったのでその学科を選んだのですが、入ってみたら土木だったという感じです(^^;)

それはそれは…。それで、どうしたのでしょうか。

現場が好きだったのに最初は座学ばかりということもあって、2回生の時はほとんど学校に行かなくなったり(^^;)。でも、3回生で選んだ水代謝システム研究室の担当教官である山村寛先生のおかげで「学校って面白い!」と思えるようになりました。RO膜を工業用水の生産プロセスに応用する研究に取り組み、水環境学会の年会学生ポスター発表賞「ライオン賞」を受賞することもできました。

大学時代の水環境学会@東北。山村先生(左から2人目)、渡辺先生(右から2人目)、研究室の仲間と一緒に(米田さんは左から3人目)

良かったです! それにしても専攻も土木を選んだわけではなかったし、研究も水処理用の膜だったのに、就職先は土木の佐藤工業を選んだんですね!?

 父が佐藤工業の創業の地である富山の出身だったこともあり、親戚からはトンネルを掘りたいなら佐藤工業と言われ育ちました。また就活時、当社はアフリカでODAの橋梁建設を手掛けていたので「海外に行ける!」と思って選びました。

高校の時からずっと「途上国に貢献したい」「現場に出たい」という思いが強かったんだ!

そうなんです。当社は他のゼネコンよりも海外の事業比率が高いんです。また、就職説明会で佐藤工業で働く大学の先輩と話し、楽しく陽気な職場の雰囲気が感じられたことも大きかったです。

就職されてからはいかがでしたか?

最初の1年は内勤が続いたのですが、めげずに「現場に行きたい」と訴え続けました。そのかいあって数週間とか数カ月だけ現場に入らせてもらえるようになりましたが、それではお飾り的と言いますか、現場の男性陣も私もどうしたらいいか困ってしまって。「なんで土木に入ったの?」と聞かれたり、朝礼だけ出て事務所に戻ることもありました。

女性が現場に出ることは難しいのですか?

そんなことはありません! 名古屋支店時代に配属された西名古屋火力作業所の撤去&新設の現場で、そう確信できました。

 社内でもとりわけ大変と言われていた現場で、確かに大変だったのですが、先輩から「僕はあなたを女性とか男性とかではなく、ひとりの土木技術者として接する」と言っていただけて、すごくうれしかった。それからは男女を気にせず働けるようになりました。

西名古屋火力作業所にて、地盤改良(高圧噴射撹拌工)の施工完了時に発注者と協力会社の方たちとともに記念写真(米田さんは後列右から2人目)。「記念写真用にラミネートで簡単に「造成完了!」と作成したのですが、協力会社の職長さんがとても喜んでくれてラミネートを持って帰られました。嬉しかったです。やってよかったと思いました」(米田さん)

現場に出ることは自ら実現させたんですね。すごい! もしかして海外も?

はい。シンガポールに赴任し、日本では施工管理だけでしたが、プロジェクト全体のマネジメントという初めての業務を担いました。海外は分業制で、安全、測量、現場監督、品質管理、積算士などなど、それら従業員全員が働きやすいようにするのは気苦労は多かったですが、日本ではできない経験をすることができました。

シンガポールにて、お世話になったT212作業所トンネルチームのメンバーとの記念写真(米田さんは写真中央)。「海外で会社のさがり藤のマークを見ると感動しますね。この写真では小さくしか写っていませんが…」(米田さん)

何でも実現させちゃうパワーを感じます(^^)。そんな米田さんの印象に残る仕事を教えてください。

先ほど紹介した西名古屋火力作業所ですね。初めての現場でしたし、先輩方にたくさん助けていただいたことも良い思い出です。当時の所長のことは社内の父と思っており今も頼りにしていて、お会いした時には無理やり「お前ならできる」と言わせて励ましてもらっています。

大学の先生しかり、助けてくれる人がいつも周りにいるなんて米田さんの人徳ですね。

(^^)いつも一生懸命だから、助けてあげたくなるんですよ。(By同席されていた上司で土木部副本部長の岩橋公男さん)

最後に、この仕事の魅力を一言で!

地上にある構造物は大きく見えますが、実は地面の下ではそれよりも大きな基礎が支えています。何もないところを最初に切り拓き、その基礎を築くのが私たち土木の仕事。同じ現場、同じ製品はなく、いつでも世界に1つのものを作っています。まさに縁の下の力持ちで、社会基盤そのもので、社会貢献そのものです。
あなたも一緒に「どぼく」やりましょう!