地域福祉の目線で考える地区防災
~自然と不自然…ムリとムダのない防災を目指して~
気仙沼おとひめ会 代表
気仙沼市 地域福祉計画推進委員
気仙沼市 大浦地区自治会 女性部長
吉田 千春
■東日本大震災から12年。人間が建設した自然と不自然を分ける壁「防潮堤」
三陸沿岸部には、東日本大震災以降、高いコンクリートの壁「防潮堤」が建設されつづけています。海と陸を分ける壁は「自然」と「不自然」を隔てる壁。防潮堤が建設され、防災集団移転で山が削られて以降海の中、動物たちとの共生環境に変化が生じていると感じています。地球温暖化による海水温度の上昇、気候変動によるものだと言われれば、エビデンスのないわたしの肌感覚にすぎないことになりますが、目で見て、耳で聞いて、肌で感じていることは深刻さを増しています。
コンピューター、AI技術、気象観測技術などの発展により「勘」や「経験」が無力であるかのような潮流ですが、人間も基本的には動物です。風を感じて、雲を見て天気を予測する能力があるはずなのです。これが「自然」。しかし今は風を感じることも、雲をみることもなくスマホで天気を観る時代。「自然」と話さなくなった「不自然」。経験や自然から学んできたことから「自分の身を守る」ために「予測する」ことを放棄しています。わたしたちは電気と電波がなければ自分を守ることすらできなくなってしまっています。
災害時、電気も電波もなくなったら私たちはどう身を守るのでしょうか。この先、わたしたちは「不自然」に生きている代償を払うことになるのではないでしょうか。季節風の方向、気温変化、寒暖差、気圧、降雨量の変化など「自然」を自分の体で感じる能力が衰えわたしたち自身が「不自然」なものになっています。私たち人間はこれまでの歴史の中で同じ過ちを幾度もくり返し、学んできたはず? その経験は「ムダ」なものではないはずなのに、全てを「なかったこと」にして技術に頼り過ぎている(「不自然」)のでないかということです。
大切なことは、わたしたちもまた「自然」の一部であるということをわすれてはいけないということです。自然の中に現れた「不自然」な壁が私たちに齎す「効能」と「影響」を私たちは未来までも検証し続ける必要があります。無機質な灰色の壁が自然に溶け込むことがないことを認識し、私たちは「生活」「防災」「福祉」「安全」「環境」をしっかり考えていかなければならないと思っています。
■防潮堤と防災集団移転と防災意識の変化
海岸線に築かれた防潮堤。山を切り開いて造成された防災集団移転地。高いマンション型の住まい。ひとつひとつが安全な生活のために人間が考えて作り出したモノです。高い場所にある防災集団移転地での生活。 地域の急速な高齢化は地域の防災意識の低下に直結しています。「震災前は海岸に近いところに住んでいたから食料も水も防災品も備えていたけど、震災後の今は高いところに住んでいるから備えていない」との声も聞かれます。東日本大震災のその時までみんなが「防災品」を備え避難訓練をしていた比較的防災力の高い地域だったはずなのに…高台移転や防潮堤の設置が防災意識まで変えてしまうものなのか? 備え力の減退を丁寧
に聞いていくと「高いところに住んでいるから」も一因ですが、「備えていたものがあの日全て流された」という現実がみえてきます。つまり多くの人は自宅ではない場所で被災したということです。備えることの大切さがイコール「防災」。そんな価値観ではなくなったのが喪失体験をした人たちの現実なのです。 地域は東日本大震災から12年が過ぎ、急速な高齢化と地域力の減退に直面しています。地域力の減退は「福祉力」「防災力」の減退です。わたしたちが直面している課題は今後日本国内の多くの地域が直面する問題です。防災意識の低下は、共助が難しくなる地域環境の中で「いのちを守る」ことの難しさにつながっています。大きなリスクです。「避難」する。「自分事」で考える。「防災」は誰かに与えられるものではなく全てが自分事でなければ成立しないことです。そのために、わたしたちの地域で取り組んでいること。それは地域福祉の目線で考える地区防災。ムリとムダのない防災です。
■地域福祉の目線と生活課題
著しい高齢化、地縁と血縁で築かれていた関係の崩壊も地域力の減退につながっています。今後、地域の中で互いを支え合うことが難しくなっていくことが予測されます。
例えば、身近な地域福祉の例で考えると。高齢者や独居者のごみ出しの問題があります。ゴミステーションまで距離がある場所に居住している高齢者はゴミ出しをすることさえ難しいのが現実です。
そんな生活課題を地域で支えることはできるのか? 私が地域福祉の目線で防災を考えるきっかけでした。「誰かのゴミを出してあげる」こと。簡単そうで頼む人にも頼まれる人にも抵抗が生じることです。ゴミにはたくさんのプライバシーが含まれています。プライバシーに配慮しながらお互いの抵抗を減らしゴミ出しを手伝う方法はあるのかを考えました。国内の事例を調べてみると高齢者宅からゴミステーションまで通学途中の中学生がゴミを持っていっているという地域もありました。「この地域ではできないなぁ~、いや子どもたちにそんなことをさせたくない」というのが私の気持ちです。その理由は、大人が抵抗のあること、感染症のリスクのあることを子どもたちにさせたくないという理由です。いつかは考えなければならないこと…福祉目線の地域づくりをしていくために必要なことは? この頃の地域の中には「妬み」「僻み」「嫉み」が渦をまいていました。
■地域福祉の目線の地区防災計画つくり
震災から2年後。東日本大震災で被災した人の多くが、地域から離れた仮設住宅で、避難生活を余儀なくされていました。生活再建途上。地域に戻るのか別の場所で生活を始めるのかすら決まらない状況でした。反面、海から1分も要しない地域の高台に住まいが残った人たちはで震災後も生活を続けていました。当時の自治会長と地域について話していた時「今災害が起こったら地域を支えることはできるのか?」という問題が提起されました。まずは現状を調査してみることが必要。そしてこれからの地域人口を予測し対策することが必要。
その日から、地域に残って生活している人たちの生活状況、就労状況などを確認してまわりました。その結果から出た数字。地域の日中高齢化率は97%。日中災害が起こったらどんな避難行動をする必要があるのか? 地域で支え合うことができるのか? そのためには何をするべきかを考えることになりました。
東日本大震災を経て、まだ生活再建すらままならず疲弊した気持ちの人たちに「地域づくり」や「防災」を話すのは自分自身にも抵抗がありました。「まずは生活再建」そんな言葉が予測できたからです。それでも地域を守るための取組を進めていかなければ大切ないのちは守れない…調査結果という明確なエビデンスを示せば話を聞いてもらえる?
調査は防災集団移転前の地域課題、未来像から季節風、過去の災害、個別の問題調査、家屋調査まで多岐にわたって行い、高齢化地域、大震災時の地域の発生疾病記録などから地域の人たちのいのちを守るための地区防災計画を作成することになりました。
■誰かの負担が大きくならないように「ムリとムダ」の軽減を
ライフスタイルの多様化などにより地域組織の維持が難しくなっていることを踏まえ、自治会全体の負担の増加をさせず、「ムリとムダ」を軽減することで地域組織が持続できる地域づくりを進めています。
コンセプトは、発災時に「いのち」を守ることのみ。そして守られたいのちが守られ続けることのみ。「地域福祉目線の地区防災計画」の内容は1年ごと5項目のみの計画。
●ムリな行動によるリスクをコント
ロールすること
●情報を正確に把握し早急な搬送が
されること
●地域の中で協力しあうことでムダ
な備蓄をしないこと
●災害発生が予測される場合の早急
な避難行動
●行政との連携
ムリをする防災は長くは続かない。誰かの負担になれば担い手が育たない。防災は誰かがすることではなく「自分事」だから大切なことは自分でできるかぎり管理する。
個人情報の管理と個人の状況を正確に把握できるように地域の全ての住民に対し「避難支援カード」を作成・配布しています。このカードは、被災者の避難を支援する意味と住民の緊急時の対応、搬送車や医療者のリスクのコントロールの意味があります。羞恥心に配慮し「パンツのサイズ」を記載してもらう欄を設けているのが特徴で各家庭での保管と避難時に持参することを呼びかけています。カードの自己管理は誰かが個人情報の管理を行うことの負担の軽減と個人情報の漏洩リスクへの備え。緊急搬送時にも有効にカードの機能が働くことを期待して実行しています。
■誰が地域を担うのか
わたしたちの地域は「人」が中心の地域づくりです。自治会=爺会ではない。多様性を認め合うことができる地域が大切だと考え、誰かのやりたいを妨げないことを大切にしています。今地域の若者たちは行政に頼らず、自分たちの地域を守るための避難誘導看板の設置に向けた活動をしています。デザインも設計も予算の獲得も若者たちが進めています。女性たちは秋に文化祭を行うための準備をしています。子どもたちと若者たちがコラボレーションして「なつまつり」の準備をすすめてもいます。誰かが決めたトップダウン型の地域づくりから、みんなで考えるボトムアップ型の地域づくりへシフトしていくための取組をすすめています。
■未来へ
わたしたちは「未曾有の災害」を経験しました 。災害はわたしたちの全てを変えました。住環境も…人間関係も…仕事も…風景も…環境も…絶望的な災害の翌朝…太陽は何事なかったかの様に上り、 津波がひいた後の地面には無数の足跡が 照らし出されていました。その足跡を見た時…人間の逞しさと強さを感じました。絶望的な風景の中で「生きよう…」と心に誓いました。 たくさんのしんどいを乗り越えて今があります。
みんながあの日を乗り越えた同士 。「ひとりひとりが大切にされ地域で最後まで生きられる」地域福祉の目線のある、いのちが大切にされる地域づくりをゆっくりゆっくり確実に未来へすすめます。